須佐之男の戦国ブログ

織田信長の軌跡(六)第一次信長包囲網(1) 武田信玄 前書き 完全に周りを敵に囲まれてしまった織田信長にとって、最大の敵は大阪の石山本願寺と将軍足利義昭であり、ここから全国各地の戦国武将に指令が出ている事は明白でした。 しかし現実に目の前に迫っ…

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織田信長の軌跡(五)小豆袋 前書き 浅井長政が織田信長との同盟の約束を反故にした事に対する怒りに織田信長は全く気付かずに越前の朝倉義景攻めを決定して、元亀元年(1570年)4月20日信長勢は浜松の徳川勢とともに出陣しました。そしてそのまま越…

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織田信長の軌跡(四)信長上洛 前書き 織田信長が今川義元を桶狭間で破って諸国から戦国大名として認められたのが永禄3年(1560年)、美濃を攻略し足利義昭を奉じて上洛したのが永禄11年(1568年)、このスピードを他の戦国大名はどう見ていたの…

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織田信長の軌跡(三) 美濃攻め(2) 美濃攻略 前書き 前回のブログは墨俣城築城の寸前で終わりましたので、今回は墨俣城築城から織田信長が完全に美濃を落とすまでの経緯を記述します。 信長にとってこの美濃攻略は斉藤道三の敵討ちだけでは無く、上洛の為…

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織田信長の軌跡(二)美濃攻め(1) 木下藤吉郎 前書き 織田信長が尾張の戦国大名であり、革新的な人間であった事は前回のブログで記述しましたが、信長一人がいくら革新的で斬新な考えを持っていても、それを完全に理解して実行してくれる家臣がいなければ…

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信長の軌跡(一)人間 織田信長 前書き 前回のブログの最後に今回から織田信長についてしばらくはブログに記述する事を書きましたがこの武将は他のどの戦国大名とも比較が出来ません。信長の死後に信長の実績をたたえ、自らを信長の後継者と名乗った東北の雄…

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敵に塩を送る 前書き 敵が最も欲しがっているものをわざわざ自分の敵に与える意味である「敵に塩を送る」という言葉が出来たのは戦国時代だと言われています。 私が今回のブログで書くことはそのことわざが出来た事の一説であり、この事の証拠は文献として一…

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川中島決戦(三)勝利と敗北 前書き これまでのこの第四次川中島決戦で、武田晴信は悉く上杉輝虎に作戦の裏を読まれて、逆を突かれてきた感がありますが、当人の武田晴信からすればすべて想定の範囲であり上杉輝虎が簡単に自分の作戦通りに動くとは考えては…

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川中島決戦(二)出陣 前書き これまでの三度、武田晴信は上杉輝虎との正面からの戦いを避け続けてきました。 その理由は、この上杉勢に限っては自分の戦法である孫子の兵法である「風林火山」の戦法が全く通用しないからです。孫子の兵法は敵の内部に入り込…

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川中島決戦(一)決戦への道のり 前書き 前回の「桶狭間の戦い」から、今回は場所を甲斐と越後の国境であった「川中島」へと移して、数回に分けて記述していく予定でおります。 この第四次川中島の戦いは「桶狭間の戦い」の翌年の永禄4年(1561年)行わ…

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勘風発迷 前書き 武田晴信が織田信長の使者から今川義元の軍勢が京に向かう事をどう思うかと聞かれて答えたというこの言葉はどんな歴史書にも残っておらずこの言葉自体が殆ど伝説の世界です。しかし織田信長から同盟を打診された武田晴信の心はこの言葉に現…

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武田信玄(二)三国同盟 前書き 長尾景虎(後の上杉謙信)の軍勢と二度戦った武田晴信は武田軍全勢力をぶつけない限り、決してまともに戦えない事を悟ります。景虎の率いる越後軍の強さは猛烈であり、景虎の周辺国への信頼は絶大であり、その力はますます大…

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上杉謙信(一) 自分を神と信じた男 前書き 前回のブログの最後に触れた様にこの上杉謙信という戦国大名は他の誰と比べても極めて特殊な存在であり、はっきり言えば変わり者です。幼少期に僧侶を目指して寺で修行していた経験がその原点になっている事は確か…

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武田信玄(一) 前書き 優秀な戦国時代の国主の条件とは何でしょうか? 勿論、領土を拡大して勢力を広げ天下に号令するのが理想像ですが、それは戦国大名にとっての理想像でありこの時代の一般庶民(多くは農民)にとっては関係の無い話です。室町時代の足利…

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信長と道三 前書き 今回のブログでは織田信長と斉藤道三が聖徳寺で対談した事を中心にその前後の情勢を記述したいと思いますが、その前に皆様の中にあるかもしれない織田信長に対する誤解を一つ解いていきたいと思います。 信長が家中で「大うつけ」と呼ばれ…

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マムシと言われた男 前書き この時代のヒーローの特徴としてその出自がはっきりしない人間が非常に多い。出世の象徴となり天下を治めた豊臣秀吉が農民であったというのも一つの通説にすらすぎません。 真実の秀吉の出自については「全く解らない」としか言い…

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第一回 何故戦国時代なのか? 前書き 今回、ブログを立ち上げるのに何故戦国時代なのか? と疑問を持たれる皆様も多いと思いますので初回はその理由と今後の方向性について述べていきたいと思います。 日本の動乱期というのは長い歴史の中で何度もあった訳で…