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須佐之男の戦国ブログ

一回 何故戦国時代なのか?

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前書き

今回、ブログを立ち上げるのに何故戦国時代なのか? と疑問を持たれる皆様も多いと思いますので初回はその理由と今後の方向性について述べていきたいと思います。

日本の動乱期というのは長い歴史の中で何度もあった訳であり、戦国時代以降も幕末、終戦後と確実に国家の危機的な動乱期を迎えているのが真実で、それに比べれば戦国時代は確実に日本の国内問題であった訳で日本が国家としての危機を迎えた訳でもありません。しかし古くからの権威の崩壊と秩序の乱れ、現在の日本が国際的に称賛されている儀礼や道徳といったものが根こそぎ崩れ落ちて日本国内が何十もの小国に分かれてしまった時代はこの戦国時代以外にはありません。

日本が海外に誇る天皇陛下さえこの時代には完全に形だけのものになり何の力もなくなりました。日本の歴史上で国内の力だけで天皇の存続の危機を迎えたのはこの時代だけであり東大寺の大仏は焼かれ、京の街は荒れ果てて将軍の権威も完全に失墜して全く先の読めない世の中が100年以上続いた訳でありこんな時代は日本の歴史上で戦国時代しかありません。ヨーロッパの人間が日本に入ってきたのも、ヨーロッパの先進文化が日本国内に流入したのもこの時代からであり、日本は歴史上初めて「世界」と「日本」の違いを感じた貴重な時代であり以降の日本の衣、食、住すべてに影響を与えました。

これが私が戦国ブログを書く一つの理由です。

戦国時代とは

幕末であれ終戦時であれ日本の他の動乱期にはそのはじめと終わりに明確な時期がありおおよそでもいつからいつまでと定義できると思います。

ところがこの戦国時代にははじめと終わりを定義できないのが特徴です。室町時代の末期から江戸時代の初期までいう定義しかできずに日本国内の人間の意志だけで恐ろしく長い間、日本国内は荒れ果てました。1467年に京都で発生した応仁の乱がきっかけであったのは間違いの無い事実ですがこれは1477年に終了しており、たった10年間の出来事です。しかしこの10年間に日本各地で革命的なクーデターが頻発し、その多くが成功してしまい日本がそれまで維持していた秩序は完全に崩壊しました。

日本の室町時代までの組織図は権威の象徴として天皇陛下が京都におられて陛下から任命された征夷大将軍が実質的な政治を行い、将軍の下には日本各地を任された各地区の管領職が数名おりその下に領土を収める守護大名がいた訳ですがまずはこの守護大名から崩れていきました。応仁の乱に参加する為に京都に上った守護大名のいない祖国で一向一揆をはじめとする動乱が起きれば抑える力が不在でありいくらでも拡大してしまいます。留守を務める守護代がこれらの勢力と手を握れば領土を取ったのと同じことであり守護大名が帰る場所すら無くなります。この方法で実質的に守護大名の地位を手に入れた者は謀反を起こしたのと同じであり彼を殺して国主の座を手に入れるのには何のためらいも必要ありません。

さらに困ったことにこの流れが広まりだしたのが当時の首都である京都周辺からであり、その原因は応仁の乱が将軍の跡目争いから起こってしまった事であるのは間違いなくそれが東は関東から北陸、西は中国地方にまであっという間に広がってしまったという大動乱時代に突入してしまって納まりがつかない状況に変わり果てました。

天皇陛下も将軍の存在も、もはや形だけのものになり国主が自分の領土に対しての法律を勝手に決める事が当たり前になってしまいました。これは日本という一つの国家とは絶対に呼べないと思います。

各領国が明らかに独立国家であり君主はその国主になります。国を治めた実力者は財政に困る皇室や将軍に賄賂を平気で送り正式な官職を手に入れます。

この状態が百数十年続いた日本を現在の皆様は信じられますか?

しかし現実に日本が体験した歴史はこれであり、この時代を乗り越えて平和な現在があるのが事実です。日本人は最初から礼儀正しく思いやりのある民族なのでは決して無く血みどろの歴史を戦い抜いて現在の道徳観にたどり着いただけです。そういう意味でもこの百数十年間の戦国時代は日本の長い歴史の中でも特別です。

時代を彩ったヒーローたち

この時代を一番私が取り上げたかったのはここです。この百数十年間の日本はスーパースターの塊でした。戦国大名の出現の元になった毛利元就も三本の矢の話も私は今後全く取り上げるつもりはありません。何故なら彼の存在などはこの時代の他のスーパースターから比べれば明らかに小者であり取るに足らないからです。しかもあの三本の矢は明らかに失敗した政策であり、バラバラにされて解体しました。そんな話を皆様にしても何の参考にもなりません。

毛利などよりも例えば下剋上の代表としてなら一介の浪人から身を起こして関東の大大名になった伊勢新九郎こと北条早雲、同じく油売りから身を起こして策略や謀略で成り上がって天下を見据えたマムシと言われた美濃の斉藤道三など幾らでもおります。

彼らは毛利氏とは違い天下の情勢に直接かかわっています。

もっと凄いと私が感じるのはこの同時期に数百年に一人しか現れないであろう天才を三人同時に見る事が出来る点です。

一人は尾張織田信長、二人目が甲斐の武田信玄、そして三人目は越後の上杉謙信でありこの三人は明らかに他のどの戦国大名とは違い異質です。

この三人には共通の特徴があり自分で動いていなければおそらく戦国大名に成れていなかった点で同じです。

織田信長は確かに父信秀の正室の長男ではありましたが「うつけ」と言われた行儀の悪さに家臣から見限られて弟の信行が信秀の後継ぎとして家臣から推薦されていました。信長は「自分は重病にかかった」と嘘をついて弟の信行を見舞いに越させ実の弟を暗殺して家督を継ぎました、この時代ではこれが当たり前であり騙されたほうが劣っていたとしか見られませんでした。

武田信玄についても同じで父の信虎は次男の信繁に跡目を継がせる予定であった為に実の父親駿河に追放して跡目を継ぎました。

上杉謙信は次男であり最初から跡目を継ぐ立場では無かったのですが謙信の実力を恐れる兄晴影と戦になり勝利して国主の座を奪い取っています。

この三人は全く同時期であり現実に直接戦っています。特に国を接した信玄と謙信との川中島での合戦はその壮絶さで有名であり12年間、5回にわたって戦いました。

この三人の業績と戦いについては個別にブログで扱う予定です。

それ以外にも信長の後を継いだ豊臣秀吉徳川家康、東北の雄、伊達政宗、忍者部隊を率いた真田幸村をを凡人であると考えている人はまさかいないと思います。

とにかく日本はこの秩序が崩壊した戦国時代に優秀な人材を輩出し続けました。だからこそこの時代を取り上げる価値は充分にあると私は信じています。

これを後押ししたのは男に生まれれば誰でも天下を狙えるという日本の歴史上極めて異例な自由社会であり自分がやらなければ確実に自分がやられるという無政府状態の風土であった事は間違い無いと思います。明治維新を成し遂げた英雄たちが現在の日本の価値観とそう遠くは無い位置にいるのに対してこの戦国時代の価値観は同じ日本でありながら大きく違います。比べていただいて参考になればと思います。

あとがき

一つの時代にこれだけの英雄を一度に登場させた事は日本はおろか世界中探しても私は無いと思います。しかもそれぞれが個性が豊かであり現在の横並びと言われる日本人とは全く違います。

恐ろしく危ない100年以上の日本国内での戦国時代は負の面だけでは無く正の大きな歴史も残しました。現在からわずか400年あまり前の日本で実際に起こったこの歴史は現在の我々から見ても貴重な教訓を残してくれたと私は信じています。

実は幕末だけではなく、この時も日本はヨーロッパの植民地にされる危険性がありましたがこれらの英雄の働きで巧みに回避してきました。

現在の日本の歴史教育はおかしいとは私も思いますがこの時代については信長、秀吉の時代を「安土桃山時代」と一括りにして「江戸時代」と分けているのはかなり正確な描写でありこの二つの時代は全く違います。つまり信長と秀吉は一緒にできても家康だけは一緒に出来ない決定的な理由もあります。ブログが進んでいけばいずれは取り上げたいと思います。

次回からいよいよ本編に入っていきます。次回は美濃の斉藤道三を「マムシと言われた男」として取り上げる予定です。一介の油売りから戦国の主人公へとのし上がった道三は一人娘の濃姫を信長に嫁がせて若き日の信長と対面いたします。これも順を追って記述していくつもりです。宜しくお願い致します。