2016-08-01から1ヶ月間の記事一覧

須佐之男の戦国ブログ

信長の軌跡(一)人間 織田信長 前書き 前回のブログの最後に今回から織田信長についてしばらくはブログに記述する事を書きましたがこの武将は他のどの戦国大名とも比較が出来ません。信長の死後に信長の実績をたたえ、自らを信長の後継者と名乗った東北の雄…

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敵に塩を送る 前書き 敵が最も欲しがっているものをわざわざ自分の敵に与える意味である「敵に塩を送る」という言葉が出来たのは戦国時代だと言われています。 私が今回のブログで書くことはそのことわざが出来た事の一説であり、この事の証拠は文献として一…

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川中島決戦(三)勝利と敗北 前書き これまでのこの第四次川中島決戦で、武田晴信は悉く上杉輝虎に作戦の裏を読まれて、逆を突かれてきた感がありますが、当人の武田晴信からすればすべて想定の範囲であり上杉輝虎が簡単に自分の作戦通りに動くとは考えては…

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川中島決戦(二)出陣 前書き これまでの三度、武田晴信は上杉輝虎との正面からの戦いを避け続けてきました。 その理由は、この上杉勢に限っては自分の戦法である孫子の兵法である「風林火山」の戦法が全く通用しないからです。孫子の兵法は敵の内部に入り込…

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川中島決戦(一)決戦への道のり 前書き 前回の「桶狭間の戦い」から、今回は場所を甲斐と越後の国境であった「川中島」へと移して、数回に分けて記述していく予定でおります。 この第四次川中島の戦いは「桶狭間の戦い」の翌年の永禄4年(1561年)行わ…

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勘風発迷 前書き 武田晴信が織田信長の使者から今川義元の軍勢が京に向かう事をどう思うかと聞かれて答えたというこの言葉はどんな歴史書にも残っておらずこの言葉自体が殆ど伝説の世界です。しかし織田信長から同盟を打診された武田晴信の心はこの言葉に現…

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武田信玄(二)三国同盟 前書き 長尾景虎(後の上杉謙信)の軍勢と二度戦った武田晴信は武田軍全勢力をぶつけない限り、決してまともに戦えない事を悟ります。景虎の率いる越後軍の強さは猛烈であり、景虎の周辺国への信頼は絶大であり、その力はますます大…

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上杉謙信(一) 自分を神と信じた男 前書き 前回のブログの最後に触れた様にこの上杉謙信という戦国大名は他の誰と比べても極めて特殊な存在であり、はっきり言えば変わり者です。幼少期に僧侶を目指して寺で修行していた経験がその原点になっている事は確か…